雛鶴姫(3)
南朝の後醍醐天皇の皇子護良親王は、足利氏に捕らえられました。そして、建武二年七月、鎌倉の土牢で首を打たれ無念の最期をとげました。
その頃、津久井は北朝に支配されておりました。この津久井に南朝の姫君の哀しい物語が語り継がれているのです。
姫の名は、雛鶴姫。土牢で首を打たれた護良親王の妃です。
今から六百年余りも昔、鎌倉から遠く離れた山また山の津久井にどんな伝説があるのでしょうか。

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