平成21年11月22日(日)
午後1時より
| ■往路 | 11時15分 | 新逗子通り | ![]() |
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| 10時20分 | 出陣式 | |||
| 10時30分 | 亀岡八幡宮出発 | 11時25分 | 銀座通り(稚児行列と合流) | |
| 10時35分 | JR逗子駅前 | 11時40分 | 商店街より献上品の儀式 | |
| 10時45分 | なぎさ通り | 12時10分 | 東郷橋 | |
| 10時53分 | 池田通り | 12時15分 | 逗子開成学園本館到着 | |
| 12時50分 | 逗子開成学園本館出発 | |||
| 10時58分 | 市役所通り | |||
| 13時00分 | 逗子海岸 | |||
| 11時05分 | 市役所前 | ■復路 | ||
| 14時50分 | 逗子海岸 | |||
| 11時10分 | 延命寺前 | |||
| 15時10分 | 亀岡八幡宮 | |||
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流鏑馬会場に行く武者達の一行に加え、21世紀を担う子供達の希望ある未来と成長を願い、 稚児行列(逗子銀座通りの歩行者天国区間)・稚児弓引の儀を合わせて実施いたします。 |
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逗子と流鏑馬鎌倉幕府の行事記録である吾妻鏡によれば、正治2年(1199年)9月2日源氏二代将軍頼家が、小壺の海辺で弓馬の達人を集めて「笠懸」を射させたという記録があります。当時の小壺には逗子も含まれており、地形的に考えても現在の逗子海岸で「笠懸」が行われたことがうかがえます。 「笠懸」は「流鏑馬(やぶさめ)」と共に、疾走する馬上から弓を射るという騎射の一種で、これは関東武士のお家芸であり、当時最高の武技でもあったのです。 そのため、尚武の気風に富む源頼家が好んで、しばしば行ったことが記録に残されております。 「流鏑馬」は起源が古く、六世紀の半ば神事として始まり、平安朝では、宮廷の公事として年々催されておりました。 その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、全国の統一を果したので、天下泰平を祈願するため、文治3年(1187年)8月15日鎌倉八幡宮の宝前で「流鏑馬」を催し、以来源家三代を経て文永3年(1267年)に至るまで、毎年の如く行われた輝かしい歴史があります。 さて、今回逗子海岸で行われる「流鏑馬」は、前記の如く深い由来がありますが、時代が流れ、昭和20年の終戦当時、逗子海岸にあった「なぎさホテル」に米軍が進駐しておった際に、武田流司家の先代金子帥範が彼等に流鏑馬騎射を披露したところ、彼等はこの日本伝統武芸に大いに魅せられました。 そして早速、ホテル前面の海岸にやぶさめ馬場を設け、米将兵がやぶさめの練習に励んだのであります。 昭和23年および24年の11月には、逗子市の人々も参観に加わり、日米親善流鏑馬騎射会が盛大に行われました。 当時国民は、有史以来の敗戦に遭遇し、物心両面で大混乱を極めておりましたので、逗子市の人々にとって大きな慰めと希望を与えることとなりました。 以上のとおり逗子と「流鏑馬」の係わりは深いものがあります。 逗子市商工会では、約800年前に行われた「逗子流鏑馬」を再現させ市民の皆様に、往時の伝統武芸をご高覧いただき、「美しい渚づくり」と「新しい生活文化圏の創造」につなげて参りたいと存じます。 |
| (1)天長地久の式 | 13:00 | ![]() | |
| (2)馬場入り | 13:10 | ||
| (3)諸役配置、騎馬・馬場本移動 | 13:15 | ||
| (4)主催者あいさつ | 13:20 | ||
| (5)開会通告 | 13:30 | ||
| (6)騎射開始 | 13:30 | ||
| イ、素馳 | 1回 | ||
| ロ、奉射 | 1回 | ||
| ハ、競射(土器三寸的) | 3回 | ||
| (7)騎射終了 | 14:30 | ||
| (8)凱陣の式 | 14:40 | ||
| (9)演武終了 | 14:45 |
≪天長地久の式≫(てんちょうちきゅうのしき)奉行は、諸役の前中央に進み、「五行之乗法」を行う。乗馬して左へ3回、右へ2回馬を回して中央の位置で馬を止め、鏑矢を弓につがえて、天と地に対して満月の弓を引き「天下泰平、五穀豊穣、国民安堵」を祈念する。式が終わると奉行、射手、諸役は行列を組み「序之太鼓」に合わせて馬場に進む。 ≪素 駆≫(すばせ)馬場入り後、奉行は記録所に上がり、諸役一同は各部所に就く。射手は、馬場上の馬溜りに集合する。奉行は、各自の配置と馬場内の安全を確認する。 馬場の上下の扇方(おうぎがた)は馬場内の安全確認し、準備完了の扇の合図を行う。 その後、奉行は、「破之太鼓」を打ち、射手は、順に馬場に全速で馬を打ち込む。 ≪奉 射≫(ほうしや)馬場に3つの「式之的(しきのまと)」が立てられ、射手は馬を全速力で走らせながら腰の鏑矢を引き抜いて重藤(しげとう)の弓につがえ、一の的から次々に射て馬場を駆けぬける。これを決められた 回数繰り返す。 的は一尺ハ寸四方で、檜板を網代(あじろ)に編み、その上に白紙を張って青、黄、赤、白、紫の5色であらわし、的の後ろに四季の花を添える。 ≪競 射≫(きょうしや)的は、径三寸の土器二枚を合わせて、中に五色の紙切れを入れてあり、命中すると土器は裂け、中の五色の紙は花吹雪の様に飛び散る。こうして競射が終わると奉行は、記録所で「止之太鼓」を打ち、射手、諸役は行列を組んで記録所前に向かう。 ≪凱陣の式≫(がいじんのしき)記録所の前に勢揃いした後、競射の最多的中者は式之的を持って奉行の前に座する。奉行は、扇を開いて骨の間から的を検分する。扇をたたみ太刀の鯉口を切った時、太鼓を、「ドン・ドン・ドン」と三打する。 奉行の「エイ・エイ・エイ」の声に続いて、射手・諸役一同「オーッ」と唱和、これを3回繰り返して勝どきを揚げる。 この儀式は、流鏑馬そのものが、世の邪悪退治も意味しているため、退治した邪悪の「首実験」の意味も込められている。 |