にゅうじょうさま
  生きながら仏になった  入 定 様
 県道からイトーピア住宅に曲がる角の魚屋さんの裏に地蔵院という寺がありました。明治の初めごろ寺はなくなりましたが、その境内だった所に「千手院圓求大法師」と刻まれた入定様、円求(えんく)のたまご型の墓石があります。円求は桜山中里の矢部長左衛門のむすこで、弟の尭鎭(ぎょうちん)は紀州雲蓋院の住職となり、兄弟そろって名僧といわれています。二人とも神武寺で修行したお坊さんです。
  入定とは、地中に穴を掘り、その中に入って生き埋めの状態になります。穴の中で正座して、鉦をを打ちながらお経を唱え続けます。鉦の音が絶えた時を命の絶えたしるしとして、そのまま葬ってもらいます。生きながら仏になることです。
 円求は、諸国をめぐって修行した末、ふるさとの桜山にもどりました。そして寛政6年(1794)7月、69歳で地蔵院境内において入定し、7日後に仏になったと伝えられています。
地蔵院境内跡の円求の墓石
ひとくちメモ:日本各地に入定様はいらっしゃいます。

埼玉県吹上町
ぜん息に苦しむ旅の僧、相海上人が人々を咳の苦しみから開放したいと心願を立て、自ら土中に入ったのは冠文二年(1662)二月二十一日、以来上人は“咳の神”としてよみがえり、「入定さま」として、今なお多くの人々に親しまれています。「 入定様 新宿にあり 咳の神 健やかな日々 願いて参る 」

福井県小浜市の,法印寺という曹洞宗の寺
少女の時に人魚の肉を食べたために,800年も生きてしまったという八百比丘尼。
彼女がさいごにこもって死んだということになっている岩屋です。

香川県 富隈神社と善住木食上人入定塔
上人は神仏の教えを体得して多くの人を助け、神人不ニの境地に達するために入定されました。正面参道両側にこんぴら街道から移された丁石が多数あります。

高野山の中院(現在の龍光院)
真言宗の宗祖さまである弘法大師さまは、承和2年3月21日寅の刻入定されました。
お弟子さんたちが、お大師さま入定の後のお姿についてお尋ねになったとき、お大師さまは左手に念珠を右手に五鈷お持ちになって加持するお姿を示されました。襖の陰から真如親王さまがこのお姿をお写しになったものが、高野山の加藍にある御影堂におまつりされています。


ハイキングコース行程地図観蔵院 |生きながら仏になった(入定様) |
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