逗子海岸のむかし
  明治22年(1889)、逗子市の前身である田越村が生まれ、横須賀線の逗子停車場(現在のJR逗子駅)ができたころ、逗子の海岸は松林の続く、人気のない海岸でした。
  その海岸の西に「青異人館」が建てられました。また同じころ、「赤屋敷」をはじめとして、外国人たちの広い別荘がいくつも建てられました。そのころの村人たちには、外国人別荘のレンガ造りやペンキで塗られた洋風の建物はとてもめずらしいものでした。それで「青異人館」・「赤屋敷」などと呼んだのです。
  逗子は、まず外国人別荘地として広がっていきました。その後、いろいろな有名人たちの屋敷が建ち始め、明治の終わりころまでには、軍人や政治家などの別荘が並びました。大正時代には、さらに別荘地として広がっていきました。
  明治30年頃から海水浴場としても評判になり、大正14年には毎日1万人、最盛期の昭和37年には1日25万人が訪れる大海水浴場としてにぎわっていたのでした。



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