| 明治の文人たちと柳屋 |
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逗子が別荘地として開けはじめた明治の頃、小説家や文化人が逗子にくることが多くなりました。暖かく健康によい気候がそうさせたのかもしれません。 東京武蔵野の自然のすばらしさをたたえた国木田独歩も新婚の数ヶ月を逗子の柳屋(やなぎや)という旅館ですごしていました。 その後、徳富蘆花も柳屋に宿を取って4年間もすごしたのです。逗子の名を一層有名にした小説「不如帰」や随筆「自然と人生」などを書き残したのも、この旅館でした。 当時は、わらぶき屋根の大きな建物であったと、蘆花の自伝小説「富士」に書かれています。 明治の文化人たちは逗子の落ち着いた、自然の中の町をこよなく愛したからなのでしょう。しかし、その柳屋も昭和29年1月に火災で焼けてしまいました。今はその跡に記念碑が建てられています。 |
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| 柳屋跡の碑 | |
| ひとくちメモ 記念碑の一つ、「青い雲 白い雲 同じ雲でも わしゃ白雲よ かって気ままに 空を飛ぶ」???兄蘇峯(そほう)が官位を得たときに弟蘆花がたわむれに送ったものという。 |
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